1. トップ
  2. 不動産コラム
  3. vol.6【特別企画・後編】「不動産バブル再来」に思う1989年当時の狂騒曲
  • 不動産コラム

vol.6【特別企画・後編】「不動産バブル再来」に思う1989年当時の狂騒曲

バブルに踊らされた昭和後期から平成初期、不動産業界にはいったい何が起きていたのか-。井口克美の“住まいるup”、第5回目と第6回目は特別企画として「不動産バブル再来」に思う1989年当時の狂騒曲です。おぼろげになりつつある当時の状況を、記憶を頼りに、少しでも鮮明にお伝えすべく、これまでとは文体を変えながら、前編・後編でお届けします。
当時のバブルを知る世代は「あったなぁ」と懐かしみながら、当時を知らない若手世代には「世代間ギャップネタ」として気楽に読んでいただけたら幸いです。
新型コロナウイルス禍における株価の高騰と不動産業界の好調は「不動産バブル再来」に映る人もいるでしょう。この特別企画が、かつてのバブル崩壊からの教訓として、不動産業界全体の更なる発展につながることを願いつつ。前編はこちらから

「新聞」「チラシ」「週刊住宅情報」が不動の三大広告媒体に

バブル経済当時、不動産業界の三大広告媒体は「新聞」「チラシ」「週刊住宅情報(現SUUMO)」だった。郵送のDM、テレビCM、ラジオCM等、他にも広告媒体はあったが、メインはあくまでも紙媒体。情報収集手段として新聞が一般的だった時代、どの世帯も当然のように新聞を購読していたこともあり、不動産業界に限らず、新聞折り込みチラシの宣伝効果はとりわけ高かった。
ただ、先に述べたように、新築マンションマーケットにおいては、売主が積極的に広告展開しなくても、売れていた。基本的に受動的広告で、一部の人にしか届かないエリア限定の折り込みチラシでは、新築マンション誕生の認知向上に課題があった。
いつしか、新築マンション誕生の情報は「金のなる木」に成長していた。受動的ではなく、自ら能動的に情報を欲する層、購入検討者のみならず、いわゆる投資家に重宝された情報源が駅売店や書店で手軽に購入できる週刊住宅情報だった。
当時は有料にも関わらず、売れた。関西版には関西の広域エリアの新築マンションや中古マンション情報が掲載され、他物件との比較検討がはかどったことも大きかった。特に中古マンション情報は、最新の相場価格を知るツールとして、確固たる地位を築くことになるのも、自然の流れだった。ちなみに1990年1月10日発行の新年合併号・首都圏版は、辞典を彷彿させる全1,940ページで世界で一番分厚い週刊誌としてギネス世界記録に認定されたほどだった。
新築分譲マンション購入検討者は、この「週刊住宅情報」を手に、新聞折り込みチラシとともに販売物件やスケジュールを把握した。そして、「週刊住宅情報」「折り込みチラシ」以上の詳細を知るため、販売センターに足を運んだ。売主側も販売センターに集客するため、当時は情報を小出しにする傾向が強かった。購入検討者は1日で複数見学するために、事前に効率良く回れるルートを調べる必要があった。

あまりの盛況ぶりにモデルルーム2階の床が抜け落ちるハプニングも

新型コロナウイルス出現まで、新築分譲マンションの販売は、紙媒体からWeb媒体にシフトしつつも、ほぼ同じ手法が続いていた。一人でも多くの購入検討者を販売センターに集め、賑わい感を演出する。大規模マンション等では、モデルルームオープン時に屋台が出店され、そして各種イベントが開催された。お祭りのような盛況ぶりが、購入検討者の背中を押す要素でもあった。
人気の物件には想像を超える購入検討者が来場し、あまりの人の多さでモデルルーム2階の床が抜け落ちる、笑うしかない業界ネタもあった。特に多くの来場が見込まれたのが公団や公社が発売する新築分譲マンションで、当時は豊富に供給されていた。
公の組織によるマンション価格は「原価+諸経費」の合計金額。つまり、売主側の利益がほぼ皆無の、購入者にとってお得感が際立つ物件だった。また、中古になっても一般的な中古の相場価格になることから、大きな利益幅も魅力の一つだった。
前述した「金のなる木」の中で、最も信頼できる物件-。当然のように申し込みは殺到し、パンフレットには値段が付けられて販売されたが、もちろん売り切れた。更には、仕事で忙しい人や遠方地在住の購入検討者の代理として、現地に向かいパンフレットを購入し、申し込みを済ませる代行屋のような仕事すらあった。

申し込みに殺到し、販売センターには前日からの徹夜組の姿も

人々が踊らされた時代-。とりわけ興味深かったのが、申し込みや抽選のシーンだろう。住宅金融公庫(現住宅金融支援機構)が付いているかいないかで販売手法が違った。住宅金融公庫付きの場合は一般公募が必須で、1週間以上の登録期間を設定後、倍率がつく住戸は公開抽選というのが基本的な販売手法(当時は住宅金融公庫の金利が低かったことから公庫付きが多かった)。
一方、住宅金融公庫が付いていない(公庫利用可)新築マンションは、優先販売や先着順販売が可能。そのため、先着順販売時には、販売センターの前に前日から徹夜で並ぶ異様な事態が各地で見られた。かつてのドラゴンクエスト発売日や、今ではiPhoneの新機種発売日と同じ現象が、新築マンション販売時にも見られたのだ。もちろん、順番を巡るトラブルまでをワンセットに、社会現象にまでなっていた時代だった。
住宅金融公庫付きの場合では、登録も抽選も実際に現地に赴く必要があったと記憶している。人気の新築マンションや戸建ての場合では倍率も膨らむ一方。また、住宅金融公庫等で積立をしている人には、金額や期間に応じて5~20倍などの倍率優遇制度すらあった。
例えば、ある住戸に一般の人と5倍の倍率優遇を有する人が申し込んだ場合、本来なら申込者は2人で倍率は「1+1=2」倍になるが、「1+5=6」倍の計算になる。優先倍率を有する人は5人分の当選権利となり、このケースでは6分の5の当選確率で約83%に。記憶にある限りでも、100倍以上の倍率を何度も目にしたものだ。

公開抽選では売主側と購入希望者の「知恵合戦」が繰り広げられた

そして、公開抽選がまた面白かった。公平公正を期するため、福引等で用いる大きなガラガラを使い、倍率ごとに参加者の前で抽選していた。例えば、部屋番号102、302、405の3住戸の倍率がどれも5倍だとすると、1~5番の玉を入れガラガラをまわす。
出た番号が3住戸共通の当選番号となる仕組みだ。歓喜の声を挙げる当選者とは対照的に、大きなため息が会場を包む。ビンゴゲームさながら抽選は進んだ。高倍率で落選者の方が多い時代だったからこその、喜怒哀楽入り混じる光景だった。
このように、バブル当時は新築マンションの購入は宝くじのようなものだった。ただ、運次第の中で、その運を少しでも高めるために様々な知恵を売主も購入検討者も絞っていた。抽選に当たった人の辞退、あるいは契約できなかったケースを想定し、補欠番号も同時に選ばれていた。多くの場合は手間を省く為に、当選番号の次番号を補欠番号にしていた。それでも、少しでも当てたい人は色々と知恵を絞るものである。この補欠番号を想定内にすることで、当選確率を上げる猛者もいた。
申し込み順に番号が振られるケースが多かったことから、友人知人に協力を仰ぎ、仲間内で同じ住戸番号に順番に申し込み、最後に自分が申し込むことで当選確率を上げるのだ。例えば、303住戸を希望するAさんの場合はこうだ。Aさんの協力者5人が303住戸に順番に申し込み、その流れの最後にAさんが申し込む。仮に協力者の番号が1~5番、Aさんが6番となり、その後、他の購入希望者が4人いたとして、7、8、9、10番を割り振られる。
この時点で303住戸の応募者は計10人で倍率10倍の当選確率は全員10%となる。だが、抽選結果がAさんの「6番」でなくとも、1~5番の協力者の誰かに当たれば、Aさんに回るように皆辞退するのである。こうして、Aさんの実際の当選確率は60%にまで上がる。
この購入希望者側の(悪)知恵を、会社の上司に頼まれて並んだことを思い出す方もいるのではないだろうか。売主側の知恵に対して、購入者側の(悪)知恵も良く働いていたものだった(笑)。

バブル狂騒曲を教訓に、今の「不動産好景気」を泡で終えないためにも

1989年に象徴されるバブル狂騒曲-。今のようにSNSでの情報交換や口コミサイトはもちろん、インターネットも普及していない時代。情報発信側からの情報しか入手できなかったことも、偏った情報の浸透につながったのかもしれない
不動産が投資対象としての地位を確立した昭和後期から平成初期のバブル経済。バブル経済終焉元年の1990年以降の惨状は、説明する必要はないだろう。
1990年代、バブル経済の完全崩壊により不動産業界も大きな痛手を負った。儲けが大きかった分、傷も深かった。ただ、その後は「住まいとしてのマンション」という原点回帰を掲げ、商品企画の見直しによるクオリティ向上につながった点は、大きな一歩だったと確信している。その大きな一歩があったからこそ、新型コロナウイルス禍の今、不動産業界全体の好調維持の一因ではないだろうか。

新型コロナウイルス禍における「不動産バブルの再来」、の声を耳にして思うことは、不動産業界に携わる一人の人間として、「同じ過ちを繰り返さず、また、この好景気に甘んじることなく、良質な住空間を提供する姿勢を、忘れず」に。もちろん私自身も肝に銘じながら、不動産業界の更なる発展に貢献できるよう、邁進していきたい

本記事のまとめ

前編・後編でお届けした【特別企画】「不動産バブル再来」に思う1989年当時の狂騒曲はいかがでしたか。バブル経験世代には「当時を思い出した」「あった、あった」と懐かしんでいただいたり、若い世代には「そんな時代もあったのか」「そりゃバブルも弾けるわ」と笑い流していただけたら幸いです。
日経平均史上最高値を付けた1989年12月29日、私はリクルート入社3年目、関西支社で新築マンション販売を担当していました。当時のバブル経済は実体が伴わない価格上昇が続いていました。
現在の「不動産バブルの再来」は、vol.4 インバウンド消滅で公示地価大幅下落のミナミ、復活の鍵は…で紹介したように、大阪市内では関西最高価格地点の近隣エリアでの「うめきた2期築開発プロジェクト」、「2025年日本国際博覧会(略称「大阪・関西万博」)」 、「なにわ筋線の開通」など、世界的なイベントの開催や魅力的な街の開発が続くなど明確な理由も存在しています。
対して当時のバブルはどんな土地や物件でも不動産であれば「価格上昇がほぼ約束」されていました。中古マンションの価格の上昇は、本来は理想的なことです。現在は、築年が古くなれば一気に価値が下がる傾向にあり、住宅ローンを返済していっても、資産価値としては目減りが続く状況にあることを考えると尚更そう感じます。
アメリカでは中古マンション価格の上昇もあり、中古物件を売却して得たお金で、新たな家を購入する「住み替えの好循環」にあるそうです。日本も「住み替えの好循環」になれば、買い替えもすすみ、住んでいるだけでも大切な住まいの資産形成につながるのにと、強く感じずにはいられません。
現在の新築分譲マンションの価格上昇は、かつてのバブル当時の状況とは違うものの、金額規模もかなり大きくなりつつあるようです。ただ、当面は新型コロナウイルス禍による影響にも細心の注意が必要な状況であることに変わりはありません。
withコロナを乗り切った先のafterコロナに向けて、不動産業界がソフトランディング出来るように、業界全体で知恵を絞っていきたいところですね。

井口克美の”住まいるup”

オウンドメディア「crel@b(クリラボ)」の住宅評論家コラム。「関西の不動産業界のことならお任せ」の住宅評論家・井口克美氏が、「新築マンション事情」「戸建て事情」「首都圏と近畿圏の違い」「業界あるある」など、様々な角度から真面目に、時には面白おかしく皆様の「住まい」と「スマイル」のアップをお届けします。一般社団法人住まいる総合研究所代表理事。 

住まいる総合研究所 井口様

この記事を書いたのは

井口克美

一般社団法人住まいる総合研究所代表理事。住宅評論家、住宅コンサルタント。1987年、神戸大学卒業後、株式会社リクルート入社。住宅情報(現SUUMO)の広告営業として新築分譲マンション・新築分譲戸建て・仲介・賃貸・等の領域を経験し、SUUMOカウンターでは参画営業を担当。見学したモデルルームや現地は2,000物件以上、担当してきたクライアントは100社を超える。現在は、不動産関連の執筆や住宅購入セミナーなどを中心に全国で活動中。(資格)宅地建物取引主任者、ファイナンシャルプランナー、住宅建築コーディネーター、風水鑑定士